◯木村亮介(琉球大学)・松波雅俊(琉球大学)・竹中正巳(鹿児島女子短期大学)・山崎真治(琉球大学、沖縄県立博物館・美術館)
1.遺跡調査
1-1. イクサィヨー洞穴遺跡(沖永良部島)調査の成果(竹中:2023年8・10・11月、2024年1・3月実施)
前年度まで発掘を行ってきた海食崖側洞口の調査区では、石棺の東端が検出された。今年度の調査で、石棺上部の全体像が明らかになった。
今年度は余多川側の洞口部の精査も行った。2023年8月には、石灰岩裂中に再葬墓(2023-1号墓)を発見した。10月の調査では、余多川側洞口入り口部に新たに土器片や古人骨片、夜光貝加工品を発見した。また、8月に発見した石灰岩裂中の2023-1号墓の上部の岩裂にも別の再葬墓(2023-2号墓)を発見した。11月の調査では、2023-2号墓の現況を確認するために洞穴上部を踏査し、状況を確認した。2023-2号墓は大石の下に多数の人骨が納められている。大石の上や周囲の石灰岩のくぼみなどに人骨片が認められる。土器片も確認できた。また、大石の脇に人骨やタケノコ貝製品を配置し、人為的に石灰岩を上に積んだ埋葬施設も確認された。
1-2. 湾屋川原遺跡(徳之島)調査の成果(竹中:2023年12月実施)
新たに3つのトレンチを設定し、掘り下げ始めた。2トレンチからは、爪形文土器片とともに大型貝の貝溜まりが検出された。3トレンチからは、縄文後期~弥生時代相当期の土器片とともに、再葬人骨片や貝製品が出土している。
1-3. 伊計島クルカーガマ遺跡の発掘調査(山崎:2023年12月13日~2024年1月12日実施)
貝塚時代のものと見られる保存の良い炉址やホラガイを伴う人骨群を検出した。
1-4. 本部町石川テラアブ洞遺跡の現地調査(山崎:2024年3月2日~同3月3日実施)
同遺跡から採取された人骨の放射性炭素年代測定を行い、人骨は約3000年前あるいはそれ以前のものと推定され、多数の保存状態の良い部分骨や石灰華に取り込まれた個体骨格が含まれる点でも注目される。
1-5. 多良間村内の先史遺跡および洞窟調査(山崎:2024年2月16日~同2月20日実施)
北部の砂丘地において、無土器文化期と推定される約2500年前の黒色砂層からなる包含層遺跡を試掘調査し、焼石や海産貝類、魚骨などとともに、非現地性の石英を回収した。また、北西部にある孤立岩塊の下部に形成された洞窟内の古墓(ヤマトトゥンバラ)を調査し、中世~近世のものと見られる多数の人骨群を確認した。
1-6. 琉球列島の広域火山灰に関する火山灰考古学的調査(山崎)
調査の一環として、与論島供利およびサキタリ洞遺跡の火山灰分析を実施した。火山ガラス比分析および火山ガラスの屈折率測定から、AT火山灰と推定できる火山ガラスを検出することができた。
2.ゲノム解析
2-1. 現代琉球列島人の全ゲノム解析(木村・松波)
西表島および与那国島出身者(祖父母4人全員がその島出身)合計25名の全ゲノム解析を行った。以前より蓄積してきた現代琉球列島人の全ゲノムデータは400人分を超えた。これらのデータを用いて、琉球列島における島ごとの集団形成史の復元および、下記のような古代人ゲノムデータとの比較を行っている。さらに、前頭縫合残存に関連する遺伝子多型の探索を進めた。
2-2. 琉球列島の古代人ゲノム解析(松波・木村)
琉球列島で収集された274検体の現代人、および出土状況から貝塚時代(6,700–900 年前)に由来すると推定された25検体の古代人ゲノムの統合解析を実施した。qpWaveやqpAdmの解析から、貝塚時代の北琉球列島人(沖縄・奄美諸島)は縄文人との多様な混血率を示す一方で、無土器時代(2,500–900 年前)の南琉球列島人(宮古・八重山諸島)は、本土縄文人の影響が大きいことが示唆された。したがって、先史時代の琉球列島人は遺伝的に多様であり、縄文時代以降に本土から北琉球への少なくとも2回のヒトの移動が、その集団遺伝構造の形成に重要であったことが推定された。