◯加藤博文(北海道大学)・渡邉 剛(北海道大学)・内山幸子(東海大学)・鈴木建治(国立アイヌ民族博物館)・山崎敦子(名古屋大学)・佐藤丈寛(琉球大学)・中村英人(北海道大学)
1.はじめに
日本列島北部に位置する北海道島では、後期更新世の段階にとどまらず、完新世以降も列島を北上または南下する集団移動の影響を受けつつ、先史人類集団やその文化の形成が行われてきたことがわかっている。一方で、縄文文化段階や擦文文化とオホーツク文化に見られるように、土器製作技術や居住様式においても、北海道島内部の東西や南北の地域差は顕著である。
B02班では、これらの集団・文化動態を把握し、その要因を理解するために、物質文化に留まらない高精度の環境変動や人間の資源利用の解明が不可欠であると考えている。また居住様式や生業活動の変化など考古情報に基づく先史文化の転換点に注目し、それらと動物考古学からの家畜動物利用や地球環境学による古環境変化との対比を行うことを目指している。加えて、集団遺伝学や同位体科学による研究成果を統合し、人間活動と環境変動の相関性についてのモデルを構築し、集団と文化形成の復元を計画している。
2.2023年度のB02班の活動状況
2023年度は、班内研究会を2回開催し、北海道島の先史文化全体を概観し、参加メンバー内部で課題点の共有を行なった。また北海道島の北西端に位置する離島である礼文島の浜中2遺跡において国際フィールドスクールを実施し、縄文晩期から近世アイヌ文化期に至る多層遺跡の調査と、古環境復元に関する資料のサンプリングを実施した。
北海道の先史文化の地域性については、研究分担者の鈴木建治が主に担当している。通史的視点からのアイヌ史の時代区分の構築の重要性と、アイヌ史における「先史」のはじまりとしての旧石器文化や縄文文化の位置づけの検討を行っている。北海道島の先史文化の東西差、地域文化の伝統については、アイヌ文化を代表するチャシ遺構の分布状況と年代的位置付けを通じて、その解明に取り組んでいる。
縄文文化期以降の動物利用については、研究分担者の内山幸子が動物遺体に基づいて把握するための基礎資料作りに取り組んだ。具体的には、道内遺跡に関する発掘調査報告書等にあたり、動物利用に関連した報告内容(動物遺体やDNA分析・同位体比分析等の科学分析)を収集する作業を行っている。2023年度末時点で、道南部で135点、道央部で252点の報告内容の集成を終えている。道南部・道央部ともに、まだ確認すべき報告書等が残っており、2024年度も引き続き収集作業にあたる予定である。また、収集した報告内容をもとに、利用された動物の種類や部位等を整理していく作業も合わせて行う計画である。
3.フィールドスクールの成果と取組み
浜中2遺跡におけるフィールドスクールは、主に研究代表者の加藤博文が担当し、研究分担者の渡邉剛、研究協力者の山崎敦子が古環境復元のための解析資料のサンプリングを行った。
浜中2遺跡においては、これまでの調査で層厚4mにおよぶ砂層と魚骨層および貝層で構成される包含層が確認されている。包含層の形成過程は大きく上下に二つのユニットに分かれており、下層ユニットである縄文晩期からオホーツク文化初頭の包含層では、地床炉や集石土坑、海獣骨の集中などが砂層中に確認されている。一方でオホーツク文化から近世アイヌ文化期にかけての上層ユニットにおいては、魚骨層やアワビ貝層を主体とする貝塚層が形成されており、遺跡での活動内容が異なることが明らかになっている。
礼文島北部の久種湖の湖底堆積物の花粉分析の結果からは、5500年前以降に4回の寒冷化が起き、その一部が文化の転換点と一致することが報告されている。しかし、環境変化が文化の変遷と一致する理由は明らかになっておらず、人が生活する季節スケールでの高解像度の気候・海洋環境の復元記録は存在しない。したがって2023年度の調査では、高時間解像度の古環境指標であり、当時住んでいた人々によって採集された二枚貝試料(ウバ貝[Pseudocardium sachalinense])を採取し、3500年前から現在にかけての当時の気候・海洋環境の復元、すなわち①当時の水温とその季節変動および、②沿岸の漁業資源量を推定可能にする栄養塩濃度、③二枚貝の採集時期の推定を目指している。本サンプルについては、北海道大学と名古屋大学で解析を進めている。
試験的に採取した土壌サンプルについては、研究協力者の中村英人によって土壌有機物の起源や堆積環境を評価するために GC-MS および LC-MS を用いたバイオマーカー分析を北海道大学において行っている。現時点では、解析途中であるが、植物由来のバイオマーカーとともに、人間由来の糞便ステロイドであるコプロスタノールを主体とする特異なステロイド組成が確認できる可能性がある。
またフィールドスクールでは、新たに、オホーツク文化初頭に位置付けられている十和田式土器段階の成人男性(NAT005)の埋葬例と続縄文文化段階の性別年齢不明(NAT006)の埋葬事例が確認された。NAT005はオホーツク文化初頭の十和田式土器段階に位置付けられる第V層中で確認され、大きく膝を折り曲げた屈葬の姿勢をとっている。副葬品としては、チャート製両面加工尖頭器1点、石斧2点、砥石1点、骨角製尖頭器1点を伴っている。
さらに下位の続縄文文化期の第Ⅶ層で確認されたNAT006は、上半身が調査区外の壁面中に位置しており、2023年度の調査では完堀できていない。
NAT005については、現在、北海道大学大学院医学研究科人類進化研究室の久保大輔准教授によって整理作業が行われており、また採取したサンプルによるゲノム解析の準備を研究協力者である琉球大学大学院医学研究科解剖学研究室の佐藤丈寛が進めている。
すでに先行研究で指摘されているようにオホーツク文化集団の形成過程には、在地の縄文集団に加えて、北東アジア(カムチャツカ半島地域)の集団とアムール川下流域の集団との集団的交配が指摘されており、本資料の追加によって、より具体的な集団の形成過程が明らかになることが期待される。